スタジオ解放区

夏 草 や 兵 ど も が 夢 の 跡  かつて、繁栄を極めたコザを舞台に、 忘れられた街コザ十字路銀天街エリアに生息するものたちの生記録。

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赤い空の街

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日が沈んでからコザの街の空は、うっすら赤くなる。
基地のオレンジ色の光が空を赤く染める。
赤い空の下、薄暗いすーじー(路地)を銭湯やおでん屋に向けて散歩している時が、いちばんコザにいることを感じる。
湿度が高いくもりの日は、よけいに赤くなる。
この日も、おでん屋にいきながら空をみあげたらいつもにまして赤く、
もっていたデジカメで思わず記録した。

後から、気がついたのだけれど、
その日は、12月20日
今から、36年前の1970年12月20日は
アメリカァに対してのコザの人々の怒りが爆発した日。
“コザ暴動”のあった日。
米軍人と沖縄の男性の間での交通事故がきっかけで、
今まで米軍人がおこしたひき逃げや死亡事故が適切に裁かれてこなかったこともあり
コザの人々は、黄ナンバー(米軍人)の車を次々と横転させ、放火した。
コザの空は赤く染まった。

銀天街にきてから、この日の出来事について皆さんの体験談を聞いてきた。
忘年会シーズンでみんな酒が入っていたけど、怪我人はいなく、
もちろん暴動にまぎれての窃盗などもない。
黄ナンバーの車をわざわざ道路の中央に移動させてから放火。
特にリーダーもいないなか、秩序のある暴動であったらしい。
(詳しくは、コザの八百屋のひとり言 の9月21日コザ暴動・コザ精神を必見です)
沖縄市「コザ」は、基地の街。
戦後、人々がふるさとを生きるために離れたどりつき築きあげた街。
明日戦地へ出兵する軍人たちがお金をおとした街。
基地のおかげで食べていける人たちが住んでいる街。
基地のせいで暗い事件がたくさんおこった街。

この街の空が赤くなくなる日は、何十年か先に、果たしてくるのであろうか。



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コザ暴動の時に、自分のカメラで、放火された車を翌朝一台ずつ撮っていったという
比嘉さん。(コザ十字路にある記録や収集が色々すごいメガネ屋さん)
倉庫からその写真の一部をみつけたといってみせてくれました。
熱い体験談とともに。その時に
「コザのDNAは、けして途絶えない」と発言。
コザのDNAってなんですかと聞くと、「横のつながり」とおっしゃってました。
比嘉さんは、写真だけでなく、16ミリフィルムで映像の記録のたくさんもっている。
かなり貴重な映像が眠っているはずです。
この街は、底なし。

ちなつ
  1. 2006/12/23(土) 21:00:09|
  2. 解放区☆日記
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  4. | コメント:0
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