スタジオ解放区

夏 草 や 兵 ど も が 夢 の 跡  かつて、繁栄を極めたコザを舞台に、 忘れられた街コザ十字路銀天街エリアに生息するものたちの生記録。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

郷愁の念はどこから生まれる?

20060509200530.jpg
GWを利用しスケッチ等をしに沖縄にきた大学からの友人に絡むコザチルドレン。


お知らせです。
コザ十字路が動き出そうとしています。みなさん是非ご来場下さい。


十字路、十字路、十字路旋風まきおこせ!
  ~コザ十字路の未来を語る会~ 
      みんなの力が街を動かす!!

日時 平成18年5月12日(金)午後7時から8時30分
場所 銀天街アーケード(?エ937-6985)
会費 1000円(チケット制、当日受付可)
内容 街づくりビジョン紹介(パネル展示など)
   音楽ライブ(かでかるさとし、「どぅなん唄者」西泊喜則、
   新人タレント流香、仲里幸一)
   軽食コーナー(ソフトドリンク、泡盛、そば、天ぷら)
主催 沖縄市銀天街商店街振興組合青年部
   「コザの街」愛し隊


スタジオ解放区も、イメージ映像制作・会場美術などで恊働します。
青年部長(40代)がコザ十字路の街づくり、銀天街への想いを文章に表現しました。
この文章は、なぜスタジオ解放区がここに拠点をかまえたかにも通ずるものです。
感慨深いです。紹介させて頂きます。

-----------------------------------------------------------------


コザ十字路
「誰か故郷を想わざる」プロジェクト
~自分のために自分のふるさとをつくろう~


コザは、戦後自然発生的にできた街である。
戦争は人々に大きな悲しみをもたらした。
生きるために、人々はふるさとを離れ、コザにたどり着いた。
ゼロからの出発。人々はそれぞれの人生をかけて
家のないところに家を築き、道のないところに道を築いた。
遠く離れたふるさとへの想いと生きることへの執着が人々を支えた。

人々は街づくりにすべてのエネルギーを費やした。
決して弱音は吐かなかった。
その心にはいつもふるさとの歌が流れていた。
コザは街でありながら、街ではない。
人々の心はふるさとにいたころのまま。
コザはローカルに根ざす場所。
街にいながら、ふるさとを思い続ける心を忘れない。
ふるさとの心は、人と人の結びつきを大切にする。
それがいつか大きな輪になり、固い絆で結ばれる。
そんなコザだからこそ、みんながコザで癒されるのだ。

僕らがいつか、きっと帰る場所。
世代をこえ、しっかり受け継がねばならないもの。
僕らの父母が残した大切なもの。宝物は、目の前にあったのだ。

さぁ、今こそ、コザの原点にもどろう。
今度は、僕らが僕らのために自分のふるさとに帰ろう。
みんなの力が街を動かす。
コザ十字路「誰か故郷を想わざる」プロジェクト。

              
             2006.5.8  仲田健



  1. 2006/05/09(火) 20:39:06|
  2. 解放区☆日記
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:6
<<晴天 満月 十字路 | ホーム | 一年がたちました。>>

コメント

こういう使われ方まってました~
ゆらてぃく館の掲示板復活だ!
じゃんじゃん使って下さい。
めぐみちゃんの病院での話とか良かったです。
また、日常エッセイも送ってね。

コザカプセルで出会った比嘉陽花さんとの掛け合いで面白いことが始まっています。何かはもう少しお楽しみで。
とっても情熱家な人です。

人との出会いってスゴイ財産だよね。




  1. URL |
  2. 2006/05/23(火) 03:25:51 |
  3. ちなつ #-
  4. [ 編集]


仲田さん丁寧なコメントどうもありがとうごさいます。
お返事すっかり遅くなってしまいました。

2年前にわたしが銀天街の伊礼化粧品店で製作した「すべてを新しくしてしまわないこと」という作品のタイトルが、このスタジオ解放区のブログで始めは僚ちゃん、そして仲田さんによって紹介されていることを嬉しく思います。
この言葉が独り立ちして、銀天街で具体的な未来に向かって試行錯誤している仲田さんや解放区のメンバーの心の中に、わたしの中にあったときよりも強く生きていることに、不思議さと同時に表現者として手応えを感じることが出来ました。

仲田さんの最近出会った歌についてのコメント、仲田さんの優しさが伝わってきますね。歌といえば、沖縄には素敵な歌が沢山ありますね。確か以前仲田さんが「花」という歌が好きだと話してくれたことを覚えています。

沖縄県芸に通っていた友人が、沖縄にはきれいな空や花、歌があり、そして戦争の証跡、基地など現実がとても強すぎて、ここで造形表現をすることは難しいと話してくれたことを思い出します。
わたしもそれが何となく分かる気がします。沖縄に行くと、その強く迫ってくる現実をただただ享受することで満足してしまうのです。
それでも銀天街という地域に限らず沖縄という場所に惹かれ、何度も訪問したのは、もちろん暖かく迎えて下さる銀天街の人たちに会いたかったことも大きいですが、本土で沖縄戦や基地問題を知りながら不気味なほど無関心に育った自分に気がつかされたからだと思います。ここにくれば少しでもそれらを自分の問題として引き受けられる。引き受けることは出来なくても、無関心なままいることが出来なくなりました。それはやはり、なにか表現したいという能動的な思いに裏付けられて起こったものだと思います。

今は、スタジオ解放区の活動や、銀天街で輝き始めた子供達やそこに居合わせた人々にいつか会えるのが楽しみです。

「信じるものを探している」その継続こそが、自分自身を等身大で写している気がします。信じられるものは必ずしも一つの正しいことではなくて、その都度変わっていって、その変化を受け止めながら肩の力をぬいて生きていけたら良いと思うのです。そうそう、「花」という歌のように。

スタジオ解放区のブログで、仲田さんとやり取りが出来とても楽しいです。(僚ちゃん、千夏ちゃんこうゆう使い方もありでしょうか?)

僚ちゃん、千夏ちゃん、もしよかったら今度ビデオ見せてね。

遊美ちゃん、コメントありがとう。


めぐみ
  1. URL |
  2. 2006/05/22(月) 12:05:45 |
  3. めぐみ #-
  4. [ 編集]

めぐみちゃんへ

「すべてを新しくしてしまわないこと」
いい言葉だと思います。

吉田拓郎は
「これこそはと信じれるものがこの世にあるだろうか」
と歌いました。
敗戦によるショック、高度経済成長、バブルの幻影、格差社会の進行。
僕らは多様化する価値観に戸惑い
たくさんの大事なものを捨て去りながら生きてきたような気がします。
かつての日本では、考えられないような悲惨な事件が後を絶ちません。
僕らはどこに向かって歩いているのだろうか。
親として子どもに何を教え伝えなければならないのか。
「これこそはと信じれるものがこの世にあるだろうか」

最近、すてきな歌に出会いました。
「たとえば君が傷ついて、倒れそうになった時は
 必ず僕がそばにいて、君の肩を支えてあげるよ・・・」
小5の息子が何気なく車のなかで口ずさんでいました。
クラスで合唱している歌だそうです。
この歌を選んだ先生に感心しました。

歌はいつも人々にたくさんのメッセージを送ります。
いい歌であればあるほど、素直な心に響きます。
政治、経済、教育、・・・大切なことは?

今、この時代に人々を勇気づけ、
めざす方向を指し示すことができるのは
君たちアーチストだけかもしれません。

「すべてを新しくしてしまわないこと」
みんなでアーチストになれたらいいね。

                          銀ちゃんより
  1. URL |
  2. 2006/05/18(木) 19:38:21 |
  3. 仲田 #-
  4. [ 編集]

めぐみちゃんへ

コメント読みました。息子という言葉に思わず笑ってしまいました。なんでかねえ(失礼)。
12日は、準備期間に雨女のどんちゃんの話題をさけていたので晴天に恵まれ、気温も30度近くになり、ビールがじゃんじゃん売れました。さとまんはビールを買いに走り回っていました。久しぶりに、みんながそれぞれのポジションで頑張っていました。おかげさまで今回のイベントは成功したと喜んでいます。1番よかったことは、りょうじと千夏が製作したプロモーションビデオです。送ってもらって、ぜひ観て、感想を聞かせて下さい。17日は反省会をします。また、ひと悶着あるかな。くわばら、くわばら。

                             仲田
  1. URL |
  2. 2006/05/16(火) 10:53:00 |
  3. 仲田 #-
  4. [ 編集]

コザ愛したい、私も。

どうも。
忙しそうですね、二人とも。
先日、古堅さんに電話をしたら、
「今週末も銀天街で何かやるよ。ほら、コザ愛し隊。。」
と情報をゲットしました。
古堅さんは自身を回遊魚と称されても(回遊魚は止まると死んでしまうのです。つまり立ち止まることは死活問題の魚!)納得してしまう程の行動力の持ち主ですし、この方も筋金入りの“コザ愛し隊”。
と言うわけで、先日のイベントの報告楽しみに待っているんです。私。
とは言え、まぁ、無理せずに。

あと、折角だからリクエストしちゃうけど、銀天街で土日、放課後に展開されている子ども教室の報告なんかも、写真入りで観れたりしたら嬉しいな~。

めぐみちゃん。
新米ママ。
しっくはっくが、目に浮かんで、楽しいね。
今度遊びに行くよ。
  1. URL |
  2. 2006/05/15(月) 23:54:12 |
  3. どん #-
  4. [ 編集]

お久しぶりです。めぐみです。ブログ更新待っていました。

先日息子の耳掃除をしていたら、綿棒が深く入ってしまい(ドジですね)心配だったので、近所にある耳鼻科の先生に見せに行きました。この辺りの良いお医者さんが分からなかったので、知人の勧めで地元の老先生のお医者さんにしたのですが、診察に入ったとたん「あらら~新米お母さんだから抱き方が下手だね。まあみんなそうやってうまくなってくんだけどね。」と言われ、診察してもらって(問題なしでした)帰るときに息子に向かって「はい。鼓膜もきれい。もうお医者さんなんか来るんじゃないよ~」と眼鏡の向こうの深い皺の中の鋭い目をかっと見開いて話しかけてくれました。東京の下町にはまだこんなお医者さんがあるのだな、と感心しました。わたしはここで育った訳ではないのですが、何故かこのやり取りにを懐かしく感じました。木の床とスリッパと小さな窓からのぞく看護婦さん、頑固そうな町医者というシチュエーションに緊張したことも、子供のときの体験を呼び起こしたのでしょう。
検診で見てもらった大通り沿いにあるきれいなお医者さんは、カラオケボックスのような鮮やかな塗装がされていて先生も若くてやさしいのですが、診察室に入ると先生はパソコンに向かってぱたぱた母子手帳に記載されている息子の身長体重を入力して、平均値と照合してから子供の顔を見るんですね。

わたしが耳鼻科の先生に魅力を感じたのは、懐かしさと同時に、そういうことを感じさせてくれる場所がもうすぐなくなってしまうという寂しさがあるからだろうと思います。仲田さんが自分の体験としてではなく、ご両親や銀天街の老齢の店主さんたちの姿を一番近くでそして長い間見つめて来た者として、戦争や銀天街発祥を語り継ぐことは、リアルタイムで体験した方々の語り口とはまた違った魅力があると思います。

仲田さんの「これから」に向けて書かれた文章を読んで、ふと最近の体験を思い出したのでコメントしてみました。12日楽しみですね。
  1. URL |
  2. 2006/05/11(木) 19:42:56 |
  3. めぐみ #-
  4. [ 編集]

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://kurosio.blog4.fc2.com/tb.php/64-86cca0ca
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

スタジオ解放区

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。