スタジオ解放区

夏 草 や 兵 ど も が 夢 の 跡  かつて、繁栄を極めたコザを舞台に、 忘れられた街コザ十字路銀天街エリアに生息するものたちの生記録。

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「三凾座物語」 いわき湯本温泉街で滞在制作

今年の旧正月は、2月3日。なので、
旧暦でいったら今はまだ去年!ということで、
先日のクリスマスにいわき湯本のまちでおこなわれた「三凾座物語」を旧暦タイムラグで報告です~。

昨年から通い始めたいわき。なぜいわきでのプロジェクトが始まったかというと、、
2009年AAFのプロジェクトを自費で全国巡って沖縄に解放区をみにきてくれた田仲桂さんがいわきに呼びたいアーティストとして解放区を選んでくれた縁で、いわきアリオスとP3の企画でKOSUGE1-16のコラボレーターとしていわきに呼ばれたのが最初。
そのとき、滞在先の湯本温泉街の宿スミレ館でみた、フラオンパクの記事(湯本はオンパクの取り組みもしている)から「袋中上人」の文字を発見し、なぜ、いわきで「袋中上人」の文字が?と思い、(昔読んだ本で、沖縄エイサーの本で目にしていたから)その記事のことを、スミレ館の佐藤さんに尋ねると、新城さんという人物を紹介され、新城さんとの出会いから、いわきが袋中上人の生まれた土地であることを確かめ、袋中上人の木像のある菩提院に連れて行ってもらい、どうしても、菩提院で展示したくなって、住職や住職の奥さんや副住職たちに理解をいただき、制作を進めていった。
そのときの、KOSUGE1-16とのコラボ制作が、「袋中未来走馬灯」となり、
KOSUGE1-16制作「じゃんがら自転車」でいわきのまちを駆け抜け、菩提院で解放区制作の「袋中未来走馬灯」に出会うという、いわきじゃんがらと沖縄エイサーのあらたなカタチが結実した。(いわき平のまちを空間的に、そして、いわきと沖縄の歴史を時間軸で、縦横無尽にトリップできる)
その過程で、菩提院の副住職や新城さんやスミレ館の佐藤さんや檜山直美さんやさまざまな人たちと出会い(田仲さんと檜山さんに至ってはコザクロ2010で沖縄滞在WS、新城さん、佐藤さんもオンパク研修で来月沖縄滞在予定)そして、そもそも、田仲さんのきっかけで、みなさんと一緒に仕事することになったのだが、KOSUGE1-16にしろ、アリオスの森さんにしろ、P3の美々ちゃんにしろ、それぞれの肩書きの前からの知り合いで、なぜかいわきで合流することとなり、お互いの人生の中で奇妙な結節点となったいわき。
それ以来、ライフワークとなりつつあるといえるいわきで、(田仲さんとの獅子舞のプロジェクトや新城さんとの袋中上人でつながる黒招き猫の壇王法林寺、菩提院、沖縄の話などの報告は、次回を書くことにして)
今年もさまざまなデキゴトがあり
今回、檜山直美さんと生まれた企画が「三凾座物語」
と、ブログをサボってたので前書きが長くなりましたが、、
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いわき湯本温泉にひっそりと佇む旧映画館『三凾座』は、
約百年前に芝居小屋として始まり、28年前に映画館として幕を降ろしました。
以来、眠ったまま....。
『三凾座』でやることになったきっかけはというと、
昨年、菩提院の展示の前のリサーチのとき、湯本に泊まった。朝早起きしてまちを散歩していたとき、なんの先入観なしに、千と千尋の神隠しのように突如出会ってしまい、この地域の魂が還る祠のようなイメージが三凾座の印象だった。その後、菩提院の展示が終わって、プライベートで家族や友だちを誘って大所帯でいわきを訪れた4月に、すでに三凾座の掃除などの活動を始めていた檜山直美さん宅にバーベキューに誘っていただき、そのとき、三凾座でなにか面白いこと一緒にやりたいですね、と語り合った。(檜山さんは、菩提院の袋中未来走馬灯の展示を見に来てくれていて、檜山さん自身の幼少の記憶の走馬灯をみたという感想をくれた)
それ以来メールや電話で計画を進め、当初は、三凾座を一度死なせてあげたい、三凾座の葬式をしよう、まちの人の三凾座のキオクを、走馬灯を捧げようという話から、捧げるという意味でも、もっと前向きなカタチでのクリスマスの時期に三凾座に贈り物をするというストーリーに変化し、さらに、アコーディオン弾きカトリーヌと地元の方たち扮するちんどん、芝居、踊りとコラボする企画などがメール上で盛り上がっていき、三凾座がかつて、芝居小屋、集会所、映画と、多岐に渡ってまちのひとたちにとっての文化の発祥源だった変遷を辿り、キオクを越えて現代においても地元のひとたちによって使い倒しあらたに混在した文化を生み出すような企画となった。
現代あーとふぇすてぃばる「三凾座物語」は、
檜山直美さんを中心に地元の方々と解放区たちと総出で『三凾座物語』を織りなすこととなった。
三凾座リバースプロジェクト実行委員会ブログ三凾座物語

日本三大古湯のひとつ湯本温泉の中でも、赤ちゃんの羊水に近いお湯をもつといわれるスミレ館でスタジオ解放区一座は素敵な滞在制作を敢行させていただいた。どんなに作業をして疲れても、羊水に頭の先まで浸かると復活してしまう。最強のレジデンス環境です。かつて、野口雨情も湯本のまちで滞在制作し、、ではなく、制作せず、癒され、芸者と恋仲になり、身ぐるみはぎ取られ、、でも、大きな流れの制作人生の中の充電をした、そんな人情味溢れどこか愛らしい湯本温泉街。温泉まちとして栄え、炭坑のまちとして栄え、野口雨情や、炭坑閉鎖、そして、フラガール、と明治、大正、昭和をず~と見てきた三凾座。三凾座の死の間際に発動する走馬灯。三凾座物語。

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滞在制作中、多岐に渡ってお世話になったスミレ館オーナーの佐藤さんは、『三凾座物語』のプロジェクトメンバーのひとりであり、フラオンパクのひとりでもある。以前の職業が舞台美術屋さんだったので、昔とった杵柄で看板を慣れた手で制作中。
そして、どんどん旅館のロビーがアトリエ化?泊まってる部屋でやるよりなんかはかどってスリルとコラボ感が楽しいんです。。

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フロントでペンを借りたはいいが、そのまま作業に夢中で、立ったまま、そのまま結局カッターで切り抜きまで。。フロントでやるこたないが、これもスリルとコラボ感のなせる業。

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三凾座の中。
電気も通ってないので、昼でも薄暗くひんやりとしていて怖いくらい。
2階席にスクリーンをはって、影絵のテスト。
街で取材した映像と三凾座の記憶からおこした影絵で
三凾座の走馬灯を制作し、館内を包むイメージ。

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9月頃からちょこちょこ沖縄からいわきに通い、東京メンバーやいわきメンバーと合流して、
湯本のまちや三凾座の記憶を取材してきました。
通りかかりに声をかけたおばあちゃんは、今は無き湯本座のチケットもぎり嬢だった!(いそがしいときは三凾座も手伝ったり)なんて嬉しい偶然もあり。
ちなみに写真左のおばあちゃんは100歳です。

三凾座のキオクを集め走馬灯を形成すべく取材は続きます。

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かつての三凾座で映画技師のバイトを少年時代にしていたという石井さん、しかも、バイトでお金を貯め、東京に行きホテルのシェフになり、その後、三凾座で映写技師をしながら見た映画で憧れたアメリカの地、ホテルのシェフとして食材をみつける旅と称し世界中を点々、そして運命は回り出し、ハワイでシェフしてたとき、ちょうど、生まれ育った炭坑のまちが、閉山。まちを盛り返えす起爆剤として構想中だった常磐ハワイアンセンターの立ち上げにハワイに訪れていた視察団にハワイで会い、引き抜かれ、料理長として、そして、ストリップなんてやらないという炭坑の婦人たちを、ストリップじゃないんだよとハワイの資料をみせて、初代フラガールたちを口説き落として回ったという、炭坑、三凾座、フラガールといわき湯本の歴史を体現し、ニューシネマパラダイスさながら、故郷にもどってきて、映画のような人生を送って、現在、その当時世界中を歩いたスパイス完成形だと語る黒カレーが有名な老舗の洋食屋「ヤスヒロ」のマスター。齢70代。この黒カレー、石炭にちなんで黒カレーなんですかと聞くと、そうではない、これはインドカレーだったという。NHKの番組のコンテストに出たときに、ほかにもインドカレーがいて、差別化で黒カレーといわれ、その放映をみたお客さんたちが、黒カレーくださいと言ってくるので黒カレーになっちゃったんだという。そして、、完成形だというこの黒カレーあまりのスパイスに辛いだけでなくしょっぱいと感じる人もいた。しかし、これこそ石井さんの人生の完成形だと思った。かつての炭坑夫たちは、大量の汗をかき、塩分を欲しただろう。身体に刻み込まれた味。まさにこの黒カレーは、炭坑夫に捧げる黒カレーだ。いわき湯本ここでしか食べられない味。歴史そのものだ。そんな石井さんから、かつて映写技師のバイトをしてたときのキオクを取材しているところを、NHKカメラマンに取材されているところをスミレ館の佐藤さんが激写。石井さんにどんな映写機だったか絵に描いてもらったら、描いていくうちにキオクのディティールが細やかにどんどん蘇っていく。

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地元のプロジェクトメンバーの皆さんと打ち合わせ。
会社ぐるみで参加している常磐共同ガスさんの会議室にて。
いわきでおこなわれているフラオンパクに関わっているメンバーや
ゆもとでの街つくりに積極的な方々が参加しています。

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いわきは、17時には暗くなって急に冷え込んできてしまうので、
三凾座での現場作業は日中のみ。
夜は、スミレ館の泊まってる部屋で制作を進めます。
障子を、スクリーンにして、影絵を試行錯誤。

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滞在制作前半戦で活躍してくれた下平千夏ちゃんと交代で、他のメンバーが各地から集合。
野原大介、菊原清史、佐藤文郎、佐藤久美子、香取光一郎、田仲桂、大城奈津乃
イメージを共有して、急ピッチで制作を進めます。
影絵、映像、音、楽師など役割分担で制作中のスタジオ解放区一座。まるで、かつて三凾座を陰で支えた映写技師や舞台、楽師、野口雨情のシルエットになりすまし。
スミレ館の大部屋アトリエにて。映写技師の映像合わせや、舞台のスモーク、チケット、看板、影絵の切り抜き、宿に冬の木漏れ日が差し込み、楽師の奏でる練習のメロディー、すやすやと眠る赤子、こうして全国の温泉街を渡り歩く旅一座もいいなと白昼夢をみてしまうくらいいい時間が流れる。

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カンテラ娘。これから暗闇へ。
いわきは炭坑の街であった。
三凾座も、炭坑夫たちの娯楽の場として愛されていた。
昼間も暗い三凾座では、影絵の光源として使用したいと準備したカンテラが作業にも大活躍。

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今回のチラシに使用している味のある素敵なイラスト。
地元の九頭見友行さん作。本番前日に、「三凾座物語」の文字を描き加える。

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これが、胎児の羊水に近いスミレの湯。一日のつかれを癒す。。。
と思いきや、これも制作の一部です。
突然の思いつきで、自宅で家族とイブの晩を過ごす佐藤さんを夜中に、佐藤さんがないとダメなんです、どうしてもと呼び出し、スミレの湯オーナー佐藤さんを囲み、♪い~い湯~だ~な~♪の大合唱。

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急遽、撮影部隊となった女子は、掛け合いの(いい湯だな)あはは~ん♪のコーラスも担当。この映像も、三凾座物語の一部に。

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明日は、いよいよ本番!
電気の来ていない真っ暗な三凾座でカンテラつけての設置作業中、真っ暗闇の明治時代からつづく古い建物の中にベビーカーがぽつんとある光景。作業している様子を見学にきた人は、その光景に恐怖したことだろう。さんざん放置プレイを受けたが終止おりこう。みなさんから、彼は「わかっている」「無駄泣きしない」と関心されていた。今回、滞在制作に参加した一座最年少(3ヶ月)の林麟空(リンク)。(2才半の龍之介は長野の実家預け)
明日の「三凾座物語」のチケットを握りしめたまま夢のなかへ。


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  1. 2011/01/27(木) 03:17:51|
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