第一幕 神々の島

白い珊瑚の砂が表現しているのは、珊瑚でできた島。その島をつくるは、おもろそうしの一節。珊瑚の上を撫でるように這いずり回る巨人、自然神。または、アマミキヨ。はるか、太陽から、衛星から、俯瞰した視点から一挙に地上におりる。うごめくものあり。御嶽の生成を表している。
- 2005/09/30(金) 05:20:48|
- シチグヮチ
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第二幕 ご先祖さまの暮らし
ヒトが住み始めた。ここはかつては水田だった。
舞台に敷き詰められた珊瑚の砂は、農作物をもたらす土へと表現が変わる。
先頭は、中学になった“あやか”がニライカナイの豊かさをもたらしてきた「まれびと」(よそもの)のような面(東京出身のよそものアーティスト藤森作)をつけ、種をまくような仕草をする。
一幕で、アミニズムの自然神、精霊が表現されていたのに対し、二幕では、人神、祖霊が表現される。

そのすぐ後ろから、ちょうど耕す仕草で3名ついてくる。小学2・3年のひなた、りん、みわ、だ。それぞれ夏のワークショップでつくった、自作の面をつけている。将来おじい、おばあになったときの顔をした面。死して、あの世から到来するときの面。石垣のアンガマのようだ。

そして、舞台で表現されるもうひとつの側面は、戦後、この水田地帯を土で埋め、道なきところに道をつくってきた方々の姿。種をまき、クワを振りかざすその姿は、転じて、土砂をまき、地を固めていく様子になる。
この地は、肥沃な水田地帯のため、よく雨で崩れたり、氾濫してきた。逆に、今は舗装され、土を見つけるのが困難だ。水の湧き出るところは、本来埋めてはならない。田舎の方へ行くと、水道が敷かれ、使われなくなった今でも脈々と水の湧き出るところは“カー”(泉)として、拝みの対象であるし、埋めたらさまざまな災いをもたらしてしまう。そして、ここコザ十字路は、まさにそうした水の肥沃な土地であったが、戦後、本来人が生活していたいい土地は米軍基地に奪われ、ひとびとは、不便な山や水田地帯においやられた、と聞く。また、収容所に押し込まれた人々は、本来のふるさとに帰るあてもなく、この地に生きるためのさまざまな努力をする。そのひとつが、街をつくること、道をつくること、学校、公民館、市場、商店街であった。第2のふるさとをつくる、この地であらたな根を張り生きるという念。その第一歩こそ、道なきところに道を作ること。この水田地帯を土砂で埋め固めていく気の遠くなるような、一進一退の手作業だったことだろう。
- 2005/09/30(金) 03:34:38|
- シチグヮチ
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